3月25日に開かれたサポーターズ企画「忘れえぬ福島 東日本大震災・原発事故から7年目のおはなし会」には20代から40代の方々18人が集まりました☆
最初にドキュメンタリー映画「終の住処を奪われて」(福島原発被害東京訴訟団制作)をみんなで見ました。被害者であり、科学者でもある原告の鴨下祐也さんたちの闘いを通して、避難生活の困難・苦悩だけでなく、科学者としての立場から、放射能汚染の現実を示しています。仕事を続けるために、避難生活をする家族とは別々の二重生活の中での困難。そしていまでも自宅内でも放射線が高いという現実を前に、戻らない決断をした苦悩。こどもたちの姿に、突然に平穏な生活を奪われた理不尽さが胸に突き刺さります。しかし、このままではいられないと立ち上がって闘い続ける鴨下さんやママたちの姿に勇気と希望を感じ、私たちも一緒にできることを行動していかなくてはならない!思いになりました。
上映のあとは感想を語り合い、福島の富岡町出身のNさんのお話を聞きました。30代のサポーターズメンバーの1人です。Nさんは富岡町で生まれ育ち、震災前から上京して結婚し、今は草加市に住んでいます。震災当時はご両親が富岡町にいたそうです。ご両親は地震の難からは逃れたものの、翌日に原発事故の情報が入り、慌ただしく自宅を出て避難をしたとのこと。最初は2、3日で戻れるのかと思っていたのが、そうではないないと知り、繰り返した避難生活の中で、高齢のお父さんは病気になったとのことです。いまは都内の公営住宅に入っているそうですが、周囲の目を気にしながら生活をしているというお話に、被害者の立場なのにそれ以上に苦しめられる現実に理不尽を感じます。
政府は、除染も進まず、依然として放射性物質の汚染が続いているのに、あたかも原発事故は終息したかのように帰還政策を進めています。このことも大問題ですが、Nさんの実家は今回の避難区域の指定解除の対象ではなく、もう帰れない、とのことでした。一度、許可を得て両親が自宅に戻ったときには、すでに雨漏りもして、天井も落ち、動物が入り込んでいて、人が住めるような状況ではなかったそうです。そればかりか、タバコの吸い殻もあったといいます。物盗りに入る人がいるのだろう、とNさん。「急に故郷を奪われて、、。実家を壊す前に一度見に行きたい」というNさんの目には涙が溢れていました。
参加者の間で、原発事故をめぐるこどもたちのいじめのことも話題になりましたが、Nさん自身も職場で福島出身と言ったときに、同僚から、近寄らないで、という態度をされ、避けらるようになったことがあるといいます。放射線がうつるとでも思ったのでしょうか。Nさんはショックだったといいます。ましてや事故現場にいたわけでもないのに、無理解な周囲の対応に、被害者でありながら、さらに傷つけられる現実があるんだと痛感しました。そうした大人の現状が、こどもたちの世界にも冷酷に映し出されてしまうんだなと感じました。だからこそ、大人は現実を知って、理解をしていくことが必要なのではないでしょうか。
今回は参加者全員が発言し、原発事故の問題や思いについて話し合いました。去年の新潟の県知事選挙のときに、学生として新潟県にいて、選挙活動にも参加したというYさんからも貴重な経験が語られました。原発の再稼動に反対する米山さんの応援のためにみんなで電話かけをしていたときに、「自分は誘致のときにお金をもらっているから、何も言えない」という人がいたそうです。お金の力で人を黙らせ、原発をつくってきた政府のやり方に本当に怒りです!黙っているのはもうやめようよ!という声もあがりました。
12万人といわれる避難者はいま分断されている現状にあります。自主的に福島県内、そして県外に避難している方。今回、避難指示が解除されようとしている区域の方、そしていまだ帰還困難地域として、もう帰れないという方。しかし、政府の汚染の認識と対策が不十分ななか、自主的に避難せざるを得ない方、今回指定解除されてしまう方、いまだ帰れない方、みな同じ被害者です。みな、汚染の現実を前に帰ることができないのです。住まいの支援、生業の支援は必須です!
福島県からの支援は今月末で打ち切られる中、いま、東京都から支援を!と声をあげている方たちがいます。共産党都議団も、小池知事宛てに支援の申し入れをしました!
今回の会で、みんなの声を生で聞いて、私自身ほんとうに勉強になりました。これを糧にがんばらなくては!この問題を他人事ではなく、私たちみんなの問題として捉えて、被害者への支援と、原発のない社会を、ともに実現しましょう!!